ベクトルと自己受容

仕事とかで凹むことってありませんか?

私の場合、ある時期、講座の懇親会の後にやたら凹むようになったことがあります。お酒が少し冷めてきたあたりから凹むのですよね。

「お前、何偉そうに話してたんだよ?」とか「自分の事ばかり話してんな」とか、最終的には「お前には価値があるのか?」いう感じで、自分のしていたことを振り返って凹んでいた気がします(そもそも、「この思考パターンに問題がある」とかいう話は、また今度)。

ベクトル

ちょうどこの頃、仕事について教えてくれていた「先生」から「君は、自分にばかりベクトルが向いている」と言われていました。「自分の事ばかり気にする」とか「相手(顧客)目線がない」という事を指摘されていたのだと思います。

お酒を飲んだりして気持ちよくなっている時は、ベクトルを自分に向けたまま、自分の話ばかりしていたのだと思います。自分の話をする事で、自分自身の「俺には価値があるんだ」、と承認欲求を満たそうとしていたのでしょう。(自分自身そういう人が苦手なのにまさに自らがそうなっていたわけです。)

そして、帰り道とかで「何やってんだろ?」と凹んでいたわけです。

「貢献」の意味

ただ、当時は「ベクトルを他人に向ける」と言っても、どうしていいのかがわかりません。
普段、人に「がんばって」気を使ってみるのですが、なんだかすぐ忘れてしまいます。しかも、変に気を使った感じなので、自分としても(たぶん相手にも)なんだか不自然な感じです。

その後、アドバイスを受けたり、いろいろ本を読んだりして、「他人のためになる事をする」とか「貢献をする」とかやって、その先生からも「多少は人の事を意識できるようになった」といわれるようになりました。とはいえ、「貢献」とか他人を喜ばせる、事の意味は余り理解していなかったと思います。なんとなくそうした方が良いという効果だけ理解して。

この辺の理屈をスッキリと解説してくれていたのが、「他者貢献」「他者信頼」「自己受容」というのがつながっているという話。「アドラー心理学」、特に岸見一郎さんの解説本です。

 自己受容のために

自分を受け入れる「自己受容」ができるようになるためには、「他者貢献」をする必要がある。そのためには、そもそも「他者信頼」があるのだというように理解しました。

これで、あまり理解できていなかった「貢献」という言葉がやっと理解できた気がします。

なんか、日々苦しいなとか、そういう人は、日々少しずつ家族や同僚、友人などを喜ばせる事、「他者貢献」をすることで、自分を受入れられるようになるかもしれません。

 

なんてことを、二日酔いで軽くだるい中「アナと雪の女王」を見ながら思いました。


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